日記「花ひらく人生」
2007年12月05日
子供のようにまっすぐな心で。
週末のワラク ワークショップには
お母様に連れられて、小さな子供も参加してくれました。
小学2年生の男の子と、まだ小さな妹さん。
一生懸命我慢しながら椅子に座っている様子が
なんともいえず微笑ましい。
せっかくの休日、外を駆け回って遊びたいでしょうに・・・
なんだかこちらが申し訳ないような気持になってきます。
ところが、会が終わるとふたりとも、椅子を机代わりにして
なにやら一生懸命アンケート用紙に鉛筆で書き込んでくれています。
妹さんから「はい」と手渡された用紙を見ると。
「ままがいこうといったから」と参加の動機が書かれ
会の内容は「期待はずれだった」と書いてありました(笑)
その正直さに、思わず声を出して笑ってしまいました。
一方、お兄さんは、内容がむずかしく「頭のなかがゴチャゴチャになった」とありますが
用紙の端には上手な漢字で
→水 火←
はくしゅ
記されています。
右手(水)と左手(火)を打ち合わせて拍手(かしわで)を打つことの意味を
前田先生が説明されたのを、きちんと覚えているのですね。
さらに、
ヤマタノオロチとおぼしき怪物と、「剣」を握ったキャラクターが闘っている漫画が
描かれているではありませんか!
先生が和良久の稽古に用いる木製の剣(ツルギ)を見せて
これはスサノオノミコトも用いたものである、と話されたのを心に留めていたのでしょうか。
ほんのひとこと、さらっと言葉にしただけなのに・・・
子供って、素晴らしい!
聞いていないようで、ちゃんと聞いているのだなぁ。
心に響いてくることには、まっすぐに耳を傾けるから
すっとメッセージが届いて漫画という「創造」が生まれるのですね。
大人になると、ついつい、過去の経験則や自分なりの解釈でバイヤスをかけて
相手の話を理解してしまうものです。
「それはつまり、こういうことですね!」と要点をまとめて満足してしまったり、
自分の都合のよいように解釈したり、
評価、分析することを「わかる」としがちです。
でも、それは本当にわかる、ということからはずれたこと。
無心に相手に耳を傾けて、たとえそのときは理解できなくても、
いつかあるとき「あっ! そういうことだったのか?!」と感じるものがある。
心と身体で受け止めて、自分自身の変化と共に、その理解の仕方も
どんどん変化していく・・・その過程こそが「わかる」ということなのではないでしょうか。
わかる、とは常に「進行形」の動詞なのかもしれません。
子供の鉛筆書きの文字を眺めながら、そんなことを考えさせられました。
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