日記「花ひらく人生」

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2009年03月02日

土に還る。

%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB.JPGはてさて。
畑をします、と宣言してから
(いったい、なんで、また?!)という
ご質問を度々うけるようになっています。
あまりに唐突な思いつきと、映ったのでしょうか。
けれど、わたしにとって「食」は、
これまでひそかに抱えていた大きなテーマだったのです。

無農薬、オーガニック栽培のいわゆる「生産者の顔が見える」
食材を定期購入して20年近くになりますが、
はたしてそのような「こだわり」が本当にまっとうなものなのか?
自分自身がやっていることに、どこかで違和感を感じておりました。

美味しさとか安全って、お金を払ってポンと手に入れられるものなのだろうか。
稲がどんなふうに育っていくか、トマトにどんな虫たちが集まってくるかも知らずに、
あれを食べる、あれは食べないなどと、選び分けるなんて、すっごく傲慢なのではないだろうか。

周りにはわたし以上に食にこだわりをもつ人が沢山います。
でも。なんていったらよいでしょうか・・・
例えば、「食にはコンサバなんです」というベジタリアンの人が注文したクラブハウスサンドから
フォークで1枚、1枚、抜き取られ、皿にそのまま残された、赤身のベーコン。
マクロビは素晴らしいですよ、と語る人の濃いアイラインとマスカラとグロス。
そういったものを目にしたときの、腑に落ちない感覚。
なんのための菜食? なんのためのマクロビ、なんだろう?
なにか大切なものが抜け落ちているのではないかしら、という疑問と、
まるで鏡に自分の姿が映し出されているような居心地の悪さを感じ、
でも、感じていながら何もできない自分が一番始末が悪いなぁ、と。

思い出すのは、子供の頃に読んだ児童小説です。
10歳だったでしょうか、戦争をテーマにした本ばかりを手に取った時期がありました。
なぜかおしなべて、都会の子供がつらい体験をするストーリーばかりなんですね。
(疎開先でいじめられ、しらみにたかられ、ひもじい思いをした)
(遠くの農家に米をもらいに行くとけんもほろろで、高価な着物や宝石も
ほんのわずかなやせっぽちのサツマイモとしか交換してもらえなかった)
(なんとか米を手に入れてもすし詰めの満員電車を降りたところで憲兵につかまり
貴重なお米を全部没収されたお母さんは涙にくれてしまった)
そんなお話ばかり立て続けに読んでしまうと、
都会の子供としてはもう全面的に主人公に同情して涙してしまうのですが
と同時に、都会生活の脆さというものを子供心に痛く感じたものでした。

お金がまったく意味をもたなくなる時代がかつて存在したこと。
高価な着物も、宝石も、ひとつぶのお米以上の価値はもたないのだということ。
土を離れて生きる人間はなんと脆弱で、悪の餌食になりやすいのか・・・ということ。
何かの拍子に、物語の断片とあのときの胸の痛みが蘇ってくるようになりました。

もちろん、戦争など2度と起こしてはいけないものですが、
それとはまた違う次元で、ただ単に土に還る生活を求めるという単純な意味ではなくて、
切り離されてしまった場所に、戻らなくてはいけない。
自分が戻るべきところに、いま、しっかりとつながっておかなくてはならない。
そんな思いを、強くするようになっています。

この記事のURL | コメント(0) | 「畑の学校」 

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